こころ、ゆたかに

好きなものと日常ごと

ひと月が経つ前に

3日続くと1週間続いて1週間続くと3ヶ月続く。

3ヶ月続くと1年続く。

これが自分の基準なので3ヶ月引き摺ると先が見えてしまうから1ヶ月が経つ前に気持ちの整理を。

 

 

 

残りの年月を一緒に駆けぬけよう、と先を決めた側から言われても微妙になるし

どんな応援の仕方でも構わないから、と言われてもまたひとつ気持ちがおちてしまう。

何より「あと2年」と言われても単純に楽しくない。

もう普通で良いんじゃないですか?

この先何かしらワードが出てくるとしてこちら側が噛み砕けば良いだけで決めた側がエゴサしているのであればやめてもらいたい。

いいたいことはあるだろうけど黙っているという選択もあるのでは。

 

 

 

理由が何であれ会見がどうであれ色んな美談や明るい妄想を界隈で繰り広げられても私は現実しか見れないから気疎くなる。

継続を選択できなかったということは結局そこまでと捉えてしまうので。

現状維持は退化に等しいと言われがちだけど、たとえ商業が置いてけぼりになったとしても下ることがないように努力をしてその場所を守ることも大切なのにね。

それすらも辞めちゃうなんて。

私は積み重ねてきた今の嵐というブランドをそのまま継続して欲しかったなあ。

それは『人気がある嵐』『特別な嵐』のタイミングで好きになったからなのかもしれないけど。

相葉くんは継続したかっただろうと思うから私もそう思ってしまうのかもね。

 

昨年ツアーパンフを読んで感じてたこれじゃない感も今読むと答え合わせができるし、君のうたのSTを聴けば後半からの変な間と大野さんの不思議だった発言に納得もできる。

でもね、自分達からその場を降りる必要はないじゃない?

しかしそれは膨大なファン数を誇る5人の美学とされSNS上ではファンから拍手喝采のテキストたち。

じゃあ誰かが結婚しても誰と結婚してもそこも祝福してあげてねって思う。

極論私は個人が幸せならそれで良いので何もいいません。

 

ファンが嵐を幸せにしますっていうことが総意と言われ共通認識であったとしても私には理解できない世界(笑)

自分の幸せは自分で見つけて相手の幸せは願うものだと思うから。

発表後から夏休みやロングバケーション、誰かを庇ったり守ったりする構図も見るけど彼らは立派なアラフォーだよと思う。

そういうものをひとつひとつ目にしていくとイライラすることもなく同じ視点でないことに少しづつ冷めていく自分もいる。

2年弱というお互いに向き合う期間を設けてくれたことが誠意だというなら現実を見せてくれたことも事実となる。

グループが修繕できないくらいの実状であるということ、大人の5人が出した結論、これが全て。

 

活動が休止となれば歌って踊る姿も見れなくなるだろうしリリースもなくなる。

そうなの。

相葉くんが言ってた「毎年ツアーができることやCDを出すことは簡単なことではないんですよ、当たり前のことではないんです」って言葉に今頃苦しくなる。

そして世間では嵐みたいなグループは出てこないと言い切られるけど代わりはきっと出てくる。

カタチは違っても代わりなんて幾らでもいる世界。

でも私は次はもういい(笑)

 

休止後バラバラになったメンバーがそれぞれの場所でそれぞれの仕事を熟し、仕事を離れて自由という拘束されない時間を過ごした人が戻ってきたとして仮に数年後復活してもそれは同じ嵐ではないわけで。

そんなことが簡単に想像できてしまう決断を尊重するほかなく2020年が終わるまでどうやって楽しめばいいのだろうかと考える日々だったけど

相葉くんがラジオで「ついてきてください!」と言ってくれたのでついていきます。

 

なので残りの時間は普通に通常営業のグループ活動をお願いします。

 

この限られた年月をどうやって楽しむか

自分で言うのもあれですけど私は毎日を有効に且つ幸せに生きる術は持っていると自負しているので5人が淡々としてくれてたらいいなと思います。